この冬、 特に思い当たる理由がないのだが、 作品も見た事がないのにある映画監督(名前は伏しておく)に興味を持ち、 その監督の事が書かれている本を何冊か集めて読んだ。 「マイ・ブーム」というやつである。 そして新しく入手すると、 読んでいる本を途中でも止めて優先して読んでいる。 この本はそうした本の内の1冊であって、 殿山泰司に興味があって入手した訳ではない。 殿山泰司はその監督を“○○旦那(○○は監督の姓)”と呼び慕っていたのだそうだ。 実際、 この監督の代表作といわれる作品を含め、 何本かの作品に出演している。
当初は目当ての部分だけ読もうとしたのだが、 貧乏性故、 冒頭部分から読み始めたところ、 独特の文体でなんともいえない雰囲気で味があり、 目的の部分はもちろん、 他の部分も一気に読んでしまった。 こういう誤算は嬉しい。 役者、 女、 家族、 ジャズ、 戦争、 そして○○師匠。 「イヒヒヒヒ」と「シッシッシッ」が妙に頭に残る。
2005年5月本書では縄文時代から平安時代末期にまで亘って主に天皇などの葬儀に関する資料をまとめ、 考察している。 入手して中をざっと読んでみて、 おもしろくなさそうだったので買った事を少し後悔した。 事実、 当時の習慣などで一般読者には読みにくい漢字が多かったり、 イメージしにくい昔の色の名称などが多く登場するので、 なかなか理解しづらいものがあり、 死に対する考え方や葬送儀礼の変遷は興味深いものがあるが、 それ程おもしろくはない。
では、 なぜ紹介するかというと、 一点だけ個人的に強く興味を惹かれる部分があるからである。 現在、 喪服の色というと黒であるが、 大陸の影響で元々は白が喪服の色だったのが、 ある時、 ある理由で黒に変ったという事、 そしてその理由がなんともおかしいので紹介する次第である。 それは、 奈良時代に天皇は直系の二親等以上の者が亡くなった時は「錫紵(しゃく・じょ)」を着るとし、 その「錫」の意味は元々歯は目の細かい麻布の事であるのを、 金属の「錫(すず)」の色、 つまり「墨色っぽい色」と解した事から始まる、 というのだ。 つまり、 現在の黒い喪服は千三百年程前に大陸からの文書を解釈する時の間違いが元であり、 初めは天皇にごく近い近親者が亡くなった時だけ黒系統の色の服を着ていたのが徐々に広まった、 という訳である。
調べてみると、 ここから現在の黒の喪服に至るまでは、 更なる紆余曲折があるらしいのだが、 続編は刊行されるのだろうか。
2005年5月本書によると、 天才といわれる人は寒い月に生まれた人が多いという。 本書では、 12月生れ−ニュートン、 ケプラー、 ハイゼンベルク、 ラマヌジャン、 ノイマン、 1月生れ−ホーキング、 2月生れ−コペルニクス、 ガリレオ、 3月生れ−アインシュタイン、 が紹介されている。 その中で私が最も興味を持ったのは、 ラマヌジャンという人物である。 世の中にはこのような才能を持った人もいるのだ。 数学をはじめ、 理科系の科目が全くダメな私には(さりとて、 文系がまともということでももちろんないが)もとより彼の業績の偉大さや価値など理解のしようもないのだが、 そのエピソードを本書で読むだけでも真の天才とはこういう人のことを言うのだと納得してしまう。 ラマヌジャンのことは『天才の栄光と孤独』(藤原正彦、 2002年)にも書かれているので、 機会があればこちらも読んでみたいと思っている。
で、 「なぜ天才は冬に生れるか」である。 それを解くには「脳の渦理論Vortex Theory of The Brain」という理論がキーとなるのだが、 本書では最後で僅かに触れられているだけである。 著者の別の本も読まれることをお薦めする。
こちらにもう少し詳しく(とはいっても一般読者に理解しやすいようにごく簡略にではあるが)解説されている。 これを読み、 18世紀のイギリスの経済学者アダム・スミスが彼の著モWealth of Nationsモ(『諸国民の富』あるいは『国富論』と邦訳されている)の中で、 ただ一度だけ使っている言葉、 モinvisible handモ(「神の見えざる手」と邦訳されていたような・・・)を思い出した。
コノ ホンハ マスダセンセイ ヨンデイル カノウセイ アルナァ。
2005年5月その後山際淳司の作品を何冊か読んだ。 本書の作品達も含めて、 対象を普通の生身の存在として接し、 程よい距離から柔かい視線で見つめ、 人物の心の内を丹念にかつ淡々と描いているところがどれも共通している。 その点を個人的には好ましく思っている。
後にNHKのスポーツ番組のキャスターも務めるようになって初めて顔を拝見したが、 顔といい語り口といい、 作品から想像していた通りだった。 柔らかな口調であるが鋭く的確な解説が魅力的だった。 早世が惜しまれる。 氏と共に番組のキャスターを務められていた草野満代さんが、 氏が亡くなったのを同番組で涙ながらに伝えていたのを記憶している。
2005年5月ネタ帳を見ている写真<自分の高座の演目を考えているのだろうか>、 数人で談笑している写真<話題はなんだろう> 袖で出囃子を待っている写真<頭の中に何が去来しているのだろう>、 高座から戻って緊張が解けた写真<今日の出来はどうだっただろうか>、 思わず問いかけたくなる。 様々な顔がどれも味わい深い。 人間国宝の柳家小さん、 古今亭志ん朝、 春風亭柳昇、 桂文治、 江戸家猫八、 古今亭右朝、 林家正楽、 桂三木助など、 ここに写されている方でも既に亡くなっている方も多い。
もし、 寄席に行くことがあれば、 落語や漫才だけでなく太神楽、 紙切りなどもしっかりご覧頂きたい。 テレビの画面からは絶対伝わらない、 真剣味と気迫を感じられるからだ。
2005年5月アレルギーについては、同著者の『油脂(あぶら)とアレルギー』(ISBN4762229253)もお薦めである。『絵でわかる免疫』(安保徹著、講談社)はアレルギーやガンの発生の機序を別の視点から述べており、2冊合わせて読めば成人病やアレルギーの多元的な理解ヘの一助となろう。
お薦めの一冊、ということであるが、 最近読んで印象に残っているもう一冊も紹介したい。
2005年5月本書は人々が犯罪に手を染める原因のひとつとして脳内の化学物質(ホルモンや神経伝達物質)に焦点をあてている。ある化学物質が脳内に過剰になったり過少になることで衝動的な行動を起す、という説は新鮮な驚きである。それじゃぁ、犯罪を減らすには人間の脳の中を・・・・と単純な私などは先走ってしまうのだが、それは倫理上の問題があるので無理としても、本書も「目から鱗」の一冊である。『栄養と犯罪行動』 (A・G・シャウス著 ブレーン出版)は本書とやや異なる視点から犯罪について述べている。 両著作を読めば、 なぜ今の子供たちが切れやすいのか理解する一端ともなろう。
2005年5月