(スパイナルコラム誌2001年5‐6月号)
増田 裕、DC、DACNB
カイロプラクティックのオフィスを訪れる患者の愁訴のなかでくびの痛みは二番目に多い愁訴である。もちろんトップは腰痛、三番目肩の痛み、四番目顎(あご)の痛み、五番目手根管の痛みである。ただしこれはアメリカでの話。日本では四番目、五番目に来るのはなんだろうか? 頭痛か。ひざの痛みか。それとも西洋医学の言う「不定愁訴」が多いのかもしれない。
くびの痛みを訴えてきた患者さんに対してあなたはどのように対処するだろうか? 別のところでも書いたが、われわれの仕事はどこか探偵とそっくりである。一見犯人は簡単に見つけられそうだ。くびの痛みだからくびのどこかに問題があるはずだ。しかし、そうは問屋が卸さない。頭痛だったら頭、くびの痛みだったらくび、背中の痛みだったら背中、腰痛だったら腰、骨盤痛だったら骨盤。これでは小学生の算数のようなものだ。複雑な方程式を解く必要もない。概して、痛みのある部位に原因があるのは20%くらいである。あとは痛み(症状)のある部位に原因はない。だからこそ、術者は真犯人を追究する探偵と同じ思考方法をたどらなければいけないわけだ。ちょっとした手がかりで真犯人と断定するトンマな警部になってはいけない。いろいろ手がかりを見つけることが大事だ。普通の人が見過ごすようなちょっとした手がかりが重要なこともある。
私が探偵の話を好むのは、患者はすべて違うという厳然たる事実があるからだ。謎解きがなければ、カイロプラクティックなんかぜんぜん面白くない。
真犯人(症状の原因)を探すために、いろいろ話を聞かなければならない(問診)。問診は主訴に関して最低7つの項目をたずねる。痛みの正確な場所、いつどのように発症したのか、どのくらいの頻度で痛みがあるか、痛みはどこか放散していないか、どんなことをすると痛みがひどくなるか、どんなことをすると痛みは軽くなるか、これまでどんな治療を受けたか。必要な場合、さらに社交上の趣味、職場の環境、家族歴などの関連項目を尋ねる。私が受けたカイロプラクティック神経学の学位資格試験の実技では問診が全体スコアの30%を占めていた。問診は大事である。最近の事例では、脂肪分の多い食事に偏り胆嚢が炎症を起こしてくびに関連痛が出た患者さんがいた。これも話を聞かないとわからない。つぎに、いろいろ検査をする。待合室から治療室に入ってくる様子も観察する。検査は必要に応じて簡単なものから完全なものを行なう。こうして、あてずっぽうではなく、きちんとした推理で原因を特定する。これがプロのやり方である。
くびの痛みとなれば、まず左右の大脳半球のバランスを見る。機能が低下している側に痛みが出る場合が多い。これに関連して、いくつかの脳神経の機能を調べる。
ポイント1:大脳半球に注意せよ!
また、三叉神経との関連が強いので、顎関節(TMJ)、歯、副鼻腔、眼(角膜など)の状態を調べる。三叉神経の核は橋に4つある。顎関節の深部固有感覚の中脳核、顔の皮膚からの一般体性感覚を司る感覚核、疼痛と冷温覚の脊髄路核、8つの骨格筋を支配する運動核。このうち、三叉神経の脊髄路核の解剖生理学が非常に重要である。この核はC2まで下行して対側の視床に上行してシナプスしている。脊髄レベルでは膠様質とシナプスしている。このため、上記のとおり、歯の痛みがあればくびの痛み(関連痛)となる。副鼻腔の炎症があればくびの痛みとなる。あごが痛い場合でも同様である。これは火山爆発の火口と地下のマグマに例えられる。火口は確かにくびかもしれないが、そのマグマは三叉神経を通って歯、副鼻腔、顎から来たかもしれないのである。
<症例1>
36歳、男性、大学教員。数日前からくびの右側にひどい痛み。この患者さんの場合、原因は虫歯と胆嚢の炎症。これによる2次的な頸椎と胸椎のサブラクセイションと関連の骨格筋のトリガーポイントの形成。このような患者の場合、2次的な原因だけにとどまると、痛みはなかなか取れないし、治療後軽くなってもすぐ元に戻る。DDパーマーが喝破したように、サブラクセイションは原因ではなく結果である。治療は脊椎の矯正、筋膜療法、胆嚢療法を行い、あわせて歯医者へ行くように指示、抗炎症効果のある健康食品をとってもらい、数回の治療で完治。
この患者の場合、虫歯の要因が半分くらい占めていた。顎関節症でくびの痛みを訴える人も多い。また、副鼻腔炎を患っている人は恒常的にくびや肩に違和感(凝りや痛み)がある。
したがって、ポイント2:三叉神経に注意せよ!
次に、頭部前傾姿勢Forward Head Posture(FHP)である。側面から見た正常な立位の姿勢は垂線が耳、肩、肘、股関節、膝、外果を通る。ところが、FHPの人は垂線の前に頭が出ている。頭は平均5-7Kg。この重い頭を上部僧帽筋、肩甲挙筋、後頸筋などが綱wireの役割を果たす。筋肉は伸ばされ、伸張ストレスがかかり、トリガーポイントが形成される。
<症例2>
17歳、女性、高校生。慢性的なくびと肩の凝り。検査をすると、典型的なFHP.である。垂線より耳が7cm前方に移動している。腸骨がいずれも極端なAS。腰椎の過前彎。
このような患者の場合、くびや肩だけでなくひどい頭痛を生じることもある。個々のサブラクセイションを矯正するだけでは足らない。
したがって、ポイント3:姿勢全体に注意せよ!
したがって骨盤の変位や大脳・小脳の機能障害にも注意せよ!
メダルの裏表の関係にあるが、FHPによる問題はくびの前側にも現れる。つまり、こちらは圧迫によるストレスである。椎前筋や上下舌骨筋が緊張する。とくに肩甲舌骨筋が緊張してトリガーポイントを形成すると、くびの後ろや肩に痛みが生じる。チェコの筋膜療法のスペシャリスト、Janda MDはくびの前の筋肉をpostural muscleと呼び、くびの後ろの筋肉をphasic muscleと呼んだ。症状はほぼ同じだが、筋肉検査は正反対となる。前者は強く、後者は弱い。脊髄を介して前者が後者を抑制しているからである。
ポイント4:FHPの場合、くびの前にも注意せよ!
次に、むち打ち疾患によるくびの痛み。これは原因が明確だから対処しやすい。しかし、軟組織へのアプローチ、胸椎サブラクセイションが大事である。治験例多数。
ポイント5:むち打ちの場合、軟組織と胸椎に注意せよ!
さて、くびの痛みといえば、寝違えによるものが多い。しかし、これはきっかけであって、原因でないことが多い。すでに何らかの理由で痛みが発症する臨界点に達していたのだ。きっかけはなんでもよい。
<症例3>
29歳、女性、美容師。今朝起きたら寝違えのせいかくびが痛くて回せない。検査をすると、胆嚢に問題がある。どうやら炎症らしい。
この冬、どういうわけか寝違えてくびが痛くなったという患者が多かった。調べると、肝臓、胆嚢に機能的疾患が認められることが多い。内臓性の感覚線維は迷走神経と対を成しており、延髄にある孤束核や迷走神経背側核に入力する。ここから頚髄に出力する線維が出ている。このため、内臓の問題が頸椎の関連痛として発現することがある。胆嚢は肝臓で生産された脂肪分解酵素(消化液)を貯蔵する器管である。脂肪分を摂取すると、迷走神経が作用して胆嚢を収縮して十二指腸に胆汁を分泌するのであるが、脂肪を過渡に摂取すれば迷走神経が過度に緊張して胆嚢が痙攣的に収縮し炎症が起こる。くびの痛みは脂肪のとりすぎが原因かもしれない。
ゆえに、ポイント6:内臓疾患を疑え!
つぎに、くびと関係の深い組織がある。横隔膜。もともと発生学的にはくびと相同だったが成長に伴って離れてしまった。だから横隔神経はずっと下行して横隔膜に分布している。もし、横隔膜が過緊張を起こしてその侵害刺激が横隔神経のC3-5に入力したら、くびに関連痛が起こる。
したがって、ポイント6:呼吸に注意せよ!
最後に、硬膜系が緊張していると、くびに痛みが出る場合がある。硬膜は脊髄を囲む保護膜であり、脊髄神経根の袖を形成している。硬膜に緊張があれば直接椎骨洞神経を刺激してくびの痛みとなる。また、脊髄神経根への栄養は前脊髄動脈と後脊髄動脈およびその分枝からが半分、あとの半分は脳脊髄液から供給される。もし硬膜に緊張があると、脳脊髄液の循環が異常となり、脊髄神経根への栄養供給が低下する。このため経神経変性を起こして神経は痛みに過敏となる。
ポイント7:硬膜系に注意せよ!
くびが痛ければ、患者のくびを触診し、凝りや圧痛や浮腫がないかどうか調べる。モーションパルペーションで可動性の低下を見つける。これは最低限の仕事。これ以外に頭を働かす、しかも自分の頭を使う、これがプロの道である。神経の多様な働きを考慮しないサブラクセイション理論は百害あって一利なし。
一般に日本のカイロプラクティック教育の最大の欠陥は神経学の欠如にある。カイロプラクティックの創始者であるDDパーマーはカイロプラクティックの本質的原理は「トーン」であると述べた。これは著作『カイロプラクティックの科学・術・哲学』(1910年)の中で何度も強調されていることである。トーンとは神経の正常な緊張の謂いである。サブラクセイションでもなくイネートインテリジェンスでもない。こうした下位の概念はすべて本質的原理であるトーンから派生する。「病気はトーンが過剰であるか過少である場合に生じる」「大半の病気はトーンが過剰のときに起こる」。神経学は大事だ大事だと念仏のように唱えていればいいというものではない。神経学をもう一度本格的に勉強することをお勧めする。そこからカイロプラクティックは科学となり、広範な国民が受け入れる治療術となる。科学として認知されなければ、永久に民間療法としての位置にとどまるであろう。個々のオフィスで結果を出すことは大切である。これなくしてわれわれは存在できなかった。しかしそれは必要十分条件ではない。政府に説明責任accountabilityが求められているように、われわれにも説明責任が問われているのである。