(スパイナルコラム誌2000年7-8月号)
増田 裕、DC
組織の損傷がないのに疼痛がある。この機序はよくわかっていない。したがって、臨床の場で従来まじめに取り上げられてこなかった。通常、膜、筋肉、靭帯、皮膚などの軟組織が損傷すると、その機械的、化学的刺激(まとめて侵害刺激)を(侵害)受容器が受け止める。ここで刺激は受容器電位に変換され、さらに連結している末梢神経の活動電位を起こす。この電気刺激が脊髄の上行路(前外側脊髄視床路など)を通って視床から大脳に伝えらて、たとえば右側の腰が痛いと感じる。痛いと感じるのは大脳辺縁系で、痛みの部位が腰であると感じるのは大脳皮質の体性感覚野である。速い疼痛はAδ有髄線維が伝え、遅い疼痛はC無髄線維が伝える。瞬間に痛いと感じるのはAδ線維であり、後からずきずき痛むのはC線維であるというわけだ。痛みは主観的なものだが、その主観の根拠には疼痛の発生源が対応している。
まあ、臨床的にはこの種の患者が大部分なのだが、なかには打撲も捻挫も筋違いも筋膜の圧痛もなく、関節の機能障害も内臓疾患もどこにも悪いところがないのに、痛い痛いという患者がいる。こうした患者を心身相関症と片づけるのはやさしい。西洋医学はこの手の安直なやり方をしてきて心有る人々を絶望の淵に追いやっている。こうした不定愁訴を訴える患者の場合、甲状腺機能低下症とか、女性の場合であれば抗生物質の乱用によるイースト感染などを疑ってみる必要がある。これらの見落としがちな症状を排除したうえで、なお診断が確定できなければ、冒頭に挙げた組織の損傷のない疼痛を疑う必要がある。
一般にこれらの疼痛を異痛症Allodyniaとか中枢痛症候群Central Pain Syndrome(CPS)とか呼んで、末梢系の疼痛と区別している。この種の疼痛は大脳半球、視床、脳幹、脊髄などの中枢神経系に傷害Lesionがあると、疼痛の侵害受容器のない中枢神経系が疼痛の発生源になるというもので、いくつかの説明がある。まず、病理的な破壊傷害Ablative lesionの場合。たとえば、次のような記述がある。「長年痛みを治すための外科的介入が第1次求心性繊維から大脳皮質までのどの神経系の次元でも行われてきた。これらの外科的処方はたいして成功していない。手術が最初成功したとしても、痛みは戻ってくるおそれがある。この新しい感覚は不愉快なもので、これまで感じたことのない感覚であることが多い。すなわち、原因不明の鈍痛、刺すような痛み、しびれ、冷え、重い感じ、ひりひりした感じ、理路整然とした人でも説明しがたいその他の感覚である。中枢痛症候群は手術が軽減しようとした痛みよりももっとひどい苦痛をもたらすことが多い」(神経学の専門書PRINCIPLES OF NEURO SCIENCE第3版388頁より、未邦訳)しかし、同書にはその機序についての説明はない。椎間板ヘルニアの手術後、こうした疼痛症候群を患い当オフィスを訪れる人は多い。従来、これらは腰椎手術失敗症候群Failed back operation syndromeという範疇で語られることが多かった。たとえば、硬膜の癒着、瘢痕組織の形成、神経脱支配による過敏症Denervation hypersensitivity等。しかし、これらを異痛症の観点で見直すことも必要かと思われる。ともかく、これらの患者の治療は大変なのである。一筋縄ではいかない。本テーマを論じたいと思った一端もここにある。同書は続けて古い文献を引用して次のように述べる。「中枢痛症候群は視床の傷害で起ることが最も多いが、上行侵害路のどこでも傷害は起りうる」中枢神経の中でも求心性線維の中継中枢である視床に血管傷害があると、異痛症になる可能性があると指摘するのである。
この本の最新版(第4版)ではサンベルグの幻覚Thunbergユs illusionについての記述も見られる。冷覚と温覚の刺激を交互に与えると、強い、しばしば痛みのある冷たさを感じる。この幻覚の機序についての説明はこうだ。これらの温冷覚の刺激は相殺されて大脳皮質の前帯状回anterior cingulate gyrusにおける疼痛刺激の抑制が解除disinhibitionされるからだ、と。発作Strokeによって大脳半球が損傷を受けると、この疼痛と温冷覚刺激の統合が障害され、中枢痛が生じる。
CallietのPAIN:MECHANISM AND MANAGEMENT(疼痛:機序と管理、邦訳有り)では視床の傷害による中枢痛症候群の機序についての詳しい説明が見られる。視床の主要知覚核から急性の疼痛の信号を発するニューロンが出る。この活動に変化が生じると中枢痛が生じる。たとえば、上行路の脊髄障害があると、視床の大細胞が増加して中枢痛が生じるというわけである。いずれの説明からも考えられるのは、中枢痛症候群とはどうやら求心路遮断deafferentationや血管障害vascular injuryといった燃料(栄養と酸素)不足によって中枢神経系の疼痛抑制が解除されるために起る症状のようだ。
次に、機能的障害の場合を検討しよう。これには交感神経系が関与している。まず、交感神経の興奮と抑制の機序を見てみよう。交感神経の中枢は間脳にある。ここから中脳の網様体にシナプスして、脊髄の両側にある中間外側細胞(IML)柱に終わる。これが興奮路であり、第1次機能である。一方、第2次機能である抑制路は大脳皮質が同側のIMLを抑制する。このため交感神経系は間脳の対側で働くことになる。何らかの理由で大脳皮質の働きが低下すると、同側のIMLの抑制が低下して交感神経が亢進する。左の大脳半球側では不整脈、右の大脳半球側では頻脈がそれぞれ特異的に発症する。それとともに、交感神経系が亢進すると、アドレナリン作動性のα2受容器が刺激されて灼熱感を伴う疼痛が生じる。このほか、大脳皮質中心後回の感覚野の働きが低下すると、対側の体幹や四肢に疼痛が生じる。いずれの場合も、求心路遮断による大脳半球の機能低下が原因である。
破壊傷害のような病理であれ大脳半球の機能低下のような機能傷害であれ、中枢痛は求心路からの刺激低下や燃料供給不足のために起るようだ。前帯状回、大脳新皮質、間脳、脊髄のような中枢神経系の働きが低下すると、疼痛の抑制が解除されたり、交感神経系の抑制が低下したりする。では、カイロプラクディックに対処法はあるのだろうか?
神経系の生存条件は適度の刺激による賦活と燃料の供給である。燃料とは酸素とグルコース。したがって、(胸隔などのバイオメカニックスの働きによる)十分な外呼吸と自律神経の十全な働きによる心血管、呼吸、胃腸路の健康な働きが必要である。刺激の主要源は筋紡錘や関節の機械刺激受容器からのインパルスである。したがって、胸隔や横隔膜さらに呼吸筋群を矯正して外呼吸の働きを回復させ、脊椎や四肢のサブラクセイションを矯正してその固有感覚の刺激を脳に送ることが大切となる。また、自律神経の機能を回復させて内呼吸の働きを活発にする。
DDパーマーはカイロプラクティックの基本原則はトーンであると強調した。トーンの亢進が大半の病気の原因であると述べている。トーンとは神経の正常な緊張の謂いだ。今日の神経学の言葉で言えば、トーンの亢進は神経細胞の静止電位が閾値に接近するため興奮しやすくなる状態のことである。カイロプラクターの仕事は神経細胞の静止電位を元の正常なレベルに戻して興奮しやすい状態を是正すること、これである。